ピュアリィ代表反後人美のブログ

《 熊本学園大 講義をお引き受けした心は》

1回めでの講義の理解度は、少なかったとしても
2回目に理解度を、1回めの倍にし、
3回目その倍にします。
私の専門である「食やいのち」への興味関心があるかどうかで、その結果に個人差は出ると思います。
あと2ヶ月、一緒に考える時間をつかって、
あくまでもこのPBL(産学共同就業力育成授業)の目的は「地域中核となる人材育成」なので、
最終的に、「地域貢献」が、
どれだけ「地球規模に影響を及ぼすか」わかりやすく展開していきます。
いずれ、彼ら彼女らの生きているリアルな時代にくる「食料戦争」「水戦争」に、生き残れる「生きる力」は、結局は自分の根源である食べものが、どれだけ「土と種」を知ることや、つまりは「自然を師と仰ぐ」ことができるかにかかっています。
ただし、現実的には「貨幣価値」がわかりやすい時代です。
そこで「ESG」を取り上げました。
なぜなら国連が掲げる「SDGs」は目標であり、「ESG」は手段だからです。
投資は、自分たちの日々行なっている「買い物」の延長上です。自分たちの生活そのものなのです。
いずれ仕事を選択、あるいは仕事を創造する力は、今の生活から育まれます。なぜならそれはつまり「気づき」そのものだからなのです。
「それ何?」というコトバを使い、トレンドをつかんであげながら、でも「自分はほんとうはどう生きていきたいのか」「本質を掴んでもらう」のが私に3回与えられた講義の意味ととらえています。
弊社は、間違いなく「社会的企業」です。
貨幣だけで計れない「財」とは何なのか。
どんな富豪も、どんな美貌の持主でさえ「病気」では、本質的な喜びからは遠く、なにより誰にも「寿命」があるのです。
自分たちの時間は「有限であること」
彼ら彼女らは、若さという何にも変えがたい「力」の持ち主です。
「気づき」は、仮にこの3ヶ月では、なかったとしても、人生のどこかのタイミングでやってきます。
ただ、私は同年代の母親として、できれば、早く気づいてもらえたらと思ってはいます。
それはすべて次世代への「愛」
「母としての愛」だからなのです。

《 菊池市原 渡辺明人さんのサツマイモ畑へ 》

今日は、熊本は夏に逆もどり🥵暑い1日でしたが、明人さんの畑は、かなりの山間地。爽やかな風が吹いています。
明人さんは、菊池の環境保全型農業では知る人ぞ知る!リーダー的存在この畑も自然栽培で10年のキャリアお米🌾お茶🍵野菜🍠原木しいたけなど、実績も豊富でいらっしゃいます。

その明人さんが、8/29の川越俊作さんの自然栽培研修会で、川越さんの話をきいて、さっそく「土づくりに専念します!」5年はかける!
と決意されたとのこと。
今日は、その思いを、さらに畑で土を掘って、これまでの10年のあゆみを検証して、今後の計画を話しました。
「草の意味合い」
「そもそも、土づくりにかかせない腐植のとらえ方」
「耕す意味」
などなど。。。
話は尽きないです。

ただ言えることは、
「もっとシンプルに、植物の身になって、
 自然界の仕組みやリズムにもとづいて
 やっていけばいいんですよね!」
シンプルにそんなことでした😄
わたしは「自然栽培が大好きです」
そして、それに取り組んでいただく農家さんたちが大好きで、
「心から尊敬しています」
これからも、何年先までも、一緒に未来へ向けてやっていきたいです。
明人さんは、ほんとうにまじめで、そして思いやりのある方です。
今週末に、還暦を迎えるとのこと㊗️
そして、娘さんたちにも、来年お孫さんが誕生されるご予定もわかって、
満面の笑み😄
幸せないっぱいの明人さん、きっと畑の土も、作物も、応えてくれる日が来ることでしょう。
ピュアリィは、これからも、自然栽培普及会九州事務局としても、
お役めを果たして参ります🙇‍♀️
明人さん、お忙しいなか、ご対応ありがとうございました😊

リアルタイム産地《南阿蘇 大森博さんのササニシキ掛け干し体験してきたヨ》

今日は南阿蘇は朝から雨☂️が降ったのに、ありがたいことに、反後の到着の頃には、お日さまも顔を出してくださってラッキー🤞
今年で南阿蘇村へ就農7年めとなる大森博さんの田んぼは、あの台風10号にも負けず、山田錦、ササニシキ、イセヒカリが、次々と収穫のときを迎えています🌾
ここ数年のあいだに、次々と周りの田んぼも皆さんから認められて、大森さんに任さられるようになって、とうとう4町歩になったんだって!スゴイ!大森さんのこれまでの無肥料無農薬(自然栽培)のマジメな取り組みと、安定した収穫量、販売力が認められた証拠ですね!
9日10日の2日間は、大森さんの仲間たち4人で、ササニシキの稲刈り掛け干しが始まったと聞き、さっそく今日行ってきました。小国町、熊本市、同じ南阿蘇村の4人の仲間は、かけ干しも6年めで「慣れたモンで、安心です!」と大森さん。持ち回りで、田植え、除草、稲刈りなどを手伝ってまわるんだって。すばらしい仲間タチ🙆‍♀️
それでも1日に2人で1反、3台分のかけ干しは、とても手間と時間のかかる作業デス💦
今日は、その大森さんが1人で刈った稲を、反後も手伝わせていただき2人でかけ干しさせてもらいました😄
昔とは違い、便利な金属ポール製の台ができたのと、天候もだいぶ変わり、なかなか晴れ間も続かず不安定。よって、かけ干しのやり方も、1束1束間をあけて風通しをよくする方法に少しづつ変わってきています。
今日も晴れたり曇ったり🌥では、あったけど、気温は27〜28度くらいで、30度を超えることはなく、いい感じの風が吹いて心地よくて稲も嬉しそうでしたよ
すぐ近くの酒米の山田錦も美しい。
そして、ササニシキの水系とは別の、湧水米(イセヒカリ)も見学しました。
ヤッパリその立ち姿もすばらしいです。
大森さんは水神さまも守られてて、つい一緒に記念写真🤗
そして次に、大森さんたちの師匠というかお母さんというか、とにかく大きな大きな女神のような存在の「高島和子さん」を訪ねました。
今日は、和子さんは、この地域のお米の喜多センターの当番をされていました。
このセンターは、もう30年以上前に、地域の皆さんが、将来を見据えて作られたセンターだそうです。大きな赤外線乾燥機が何台も並び、最後は最新の色彩選別機もあって安心です。
お忙しいなかでしたが😅お2人の記念撮影も笑顔で応じていただきました😊
最後は、和子さんの黒米をはじめとする田んぼも見せていただき、たんごは大よろこび!だってほんとうに稲の姿の一つ一つが美し〜いのです。
農業はすばらしい。この南阿蘇の360°パノラマの景色、景観をつくっているのは、まちがいなく『農業』があるからですよね!
日本の農業をまもりたいなあ 未来へつなげたいなあー今日もそう想いをさらにもって産地をあとにしてきました。
高島和子さん、大森博さん、お忙しいなかお呼びいただきありがとうございました🙇‍♀️またみんなで伺います。
文 反後人美

《自然栽培ミックスリーフお取引きスタート》

上天草市大矢野町 平山農園さんを訪ねています!1町歩の所有地の3反ほどで畑、ミックスリーフは、8畝、5棟のハウスでなさっています。
園主の平山明広さんと鬼塚晶子さんは、8/29ピュアリィでおこなった 自然栽培普及会の研修会に参加。川越俊作九州ブロック長の話を聞き感銘を受けられました。
24歳から有機農業を約20年やってきました。鶏糞をはじめ自然由来の肥料、堆肥で玉ねぎを作り続けてきたが、どうしても虫や病気はたえなかった。お酢などを使い対処してきたが、当時はそれが当たり前だった。
ところが11年前、自然栽培 馬場照昭さんから「この玉ねぎ食べてみて」とすすめられたのが大きなきっかけになった。
スパッと包丁を入れた感じがまず違った。そして食べて「うまい!」この感覚が平山さんの自然栽培への扉をあけるきっかけとなった。
今となれば「やっぱり肥料だったんだ」「肥料さえ入れなければ、全てが解決していく」と、それから10年の道のりを話されました。
もちろん最初からできたわけではなかったが、虫は、原因があるからやってくる。その仕組みを約2年、アブラムシやカタツムリなどの変化を見極めながら、縁があってはじめた「ミックスリーフ」を通じて体得していかれました。
アブラナ科は、最初苦戦してましたが、レタス類を増やして、普通はブロック単位の栽培を列で管理、今では年に10作という単位もリズムもできてきました。
川越さんの、常に実験と検証、考察からまた仮説を立てて実行の繰り返しを、あのレベルまでなってでもさらに継続し続けている話を聞いて、
まだまだ「やることは果てしなくあること」を確認。川越さんがおっしゃる15年をめざして、さらにやっていきます!と決意を語られました。
笑顔がとてもキレイで、優しさと芯の強さをあわせ持ったお人柄。
ミックスリーフは、そのお人柄とまじめな10年の取り組みで、私の冷蔵庫の中で1ヶ月近くおいしく持っていて、さすがだな!と思ったしだいデス。
いよいよ来週から、お取引きスタート!!
ご縁をつないでくださった鬼塚晶子さん ほんとうにありがとうございました😊

《 熊本県、有機「生姜」の農家さんといえば! 》

宇城市小川町の「森田良光さん」「加代子さん」ご夫妻❣️
もう有機農業歴45年という、熊本にはこの人あり!という方です。
8/31(月) 14:00 1番暑い😵時間に伺ってきました。
加代子さんが、明るい笑顔で出迎えてくださって、約4haという、山あいの圃場の主な場所を案内してくださいました。
「健康は食べ物から」だから「無農薬は当たり前」
結婚される前から、お2人ともその意識は高く、現在に至るまで45年もその思いは変わることはありません。その歴史をお話しいただきました。
ときは日本が高度成長する1960年代頃から始まり、70年代生まれの子どもたちは、すでに、農薬、化学肥料、食品添加物、自然から遠のいたものばかりを食べていました。
「こんなものばかり食べていたら、必ず、病気になる!」
お2人は、だからこそ、いのちを守る農業をやりたい!と思いを強くされたそうです。
その頃は、有吉佐和子さんの『複合汚染』が、まずは「朝日新聞」に連載されて、大反響を呼び、長編小説はベストセラーとなります。
熊本では、公立菊池養生園の「竹熊宜孝先生」が、「土からの医療と教育」を提唱され、経済第一主義でいのちを軽んじる風潮に警鐘を鳴らされます。農家さんの農薬被害などから体を守り健康に導く「土から」を実践された医療活動です。
そして、小山和作先生(日赤健康管理センター名誉所長)方と共に、予防医学をめざした「新しい医療を創る会」も発足されていきます。
その先生方とともに、若い夫婦ながら、一生懸命
コツコツと勉強をし、活動の歩みを続けてこられました。
当時を振り返って、加代子さんはおっしゃいます。
その頃そんな環境のなかにあって、
「医者でも、研究者でもないけれど」
「1人の農家」であるご主人良光さんが、
ご自身が大切に育てられ、食べる方にお届けされる野菜の箱に、
「健康は食べ物から」という信念を、その思いを込めて、毎回お手紙にして入れていたそうです。
もちろん、最初は地域でも、農薬化学肥料を使うのが常識だった当時、「変わり者扱い」を受けて、大変なことも多かったのですが、
「ブレることなく」「信念を持って」
これまで45年も続けて来て、
今や、「熊本の有機生姜なら森田良光さん」その名を不動のものとされました。
「苦労もあった」とおっしゃりながら、でも決してその中身を語らず、それがあったおかげで、今があるんだと、常に前向きに、起こることをポジティブにとらえ、糧にしていらっしゃるお二人の優しくて素敵な笑顔😄
一緒にいるだけで「安心させていただける」お2人。
何人もの研修生が、研修後も近くに移り住んできて、赤ちゃんも生まれているのよ!
そんなエピソードも納得です。
また、山にはもちろん猪もいて被害に遭うこともありますが、
たまたま、加代子さんがお好きだった「ホーリーバジル」の匂いは、
猪が嫌いだということを偶然にも発見されて、
それを畑の脇に植えられていたり(私たちには、いーい匂い❣️)
猪たちは、「私たちのこの会話も聞いているのよ!」
「そして良光さんの声が聞こえたときは、決して悪さをしてこない」
「でも、3日くらいいないと、加代子さんだけだと、ナメてるから出てくるのよ!」
その猪に対しても、ただ敵のようなお話ではなく、どこか自然界で共存する仲間に対しての心あるお話しぶりをされることも、新鮮でした!
45年前「変わり者扱い」だった森田さんが、
「無農薬で4haもの農場を持ち 」
生姜はもちろん、セロリcelery、カボチャ、など数多くのお野菜たち、そしてお米を作られて、
熊本有機農業研究会や、有機JAS認定、農業委員会など、多くの要職も務められる
今、熊本にはなくてはならない存在になっていらっしゃいます。
そして、なにより「明るい!とっても明るい!前向きな!」お2人に、
私(反後)自身も、まだまだ道半ば、
「これからだな!がんばろう!」と
「元気と活力を」いただくことができました。
森田良光さん、加代子さん。ほんとうにイッチバン暑い時間に
ご対応していただきありがとうございました🙇‍♀️
これから、末永くよろしくお願いいたします!

 

《失敗してもいい❗️それはやった結果だから》

《失敗してもいい❗️それはやった結果だから》
始まりました❗️自然栽培研修会
自然から何を学ぶのか。考える。仮説を立てる。実験してやってみる。失敗であったとしても、そこから何を学ぶのかが、だいじデス

宮崎県田野町 川越 俊作さん(自然栽培全国普及会九州ブロック長)のお話が始まりました。

結果を出すためには、まずはしっかり準備をする。
10年〜15年、農業として成り立つためには、時間がかかります。
つづく

《 人吉支援活動へのお礼 》

《 人吉支援活動へのお礼 》
 〜自然栽培農家たちの決意と未来のために〜
8/21(金) ピュアリィを臨時休業し、10名で支援活動に行ってきました!
今回の水害で、田畑を流出した農家さんが多くいらっしゃいます。
自然栽培農家、西弘敬さんも、その1人。
30枚近くあった田んぼのうち、かろうじて残った2枚。品種は、「亀の尾」と、「ニコマル」
そのニコマルの田んぼは、1ヶ月ほど水が来ていなかったため、例年は除草に一役かってくれる「タニシ」がいなくなり、梅雨明け後の日照りで雑草に覆われて、稲に迫る勢いでした。
よって、今回は、せめて「タネを残したい!」という思いで、田んぼに直行しました!!
普段は、ショップやレストラン、PC業務のスタッフなので、
屋外に慣れていない人も参加しましたから、暑さ対策をして、早朝から出発スタート!
前回、娘とスタッフ3名で行ったときに除草したところは、ヤッパリ、草は生えていなくて、「成果をあげていました!」西さんとも、「よし!草さえ取れば、なんとかなる!」と確認。
しかし、覚悟はしていましたが、暑かった〜😅
朝早いうちは、最初は、田んぼの水も「冷たくて気持ちいい」状態でしたが、時間が経つにつれて、徐々にぬるま湯のようになっていき、お昼頃には「温泉♨️かな?(笑)」というところまで水温も変化するほどです。
もちろん、コンを詰め過ぎずに、休憩、水分補給を繰り返しました。しかしさすがに、最初は、楽しいそうだったスタッフも、「サバイバル感覚に!(笑)」
とにかく、よくガンバったと思います!!
たった、1枚の田んぼの除草に、10名で、4時間ほどの作業。
わずかな一助かもしれませんが、それでも、もしも、これによって、「環境共生した、タネが残せるならば!」
そんな思いです!
作業のあとは、他の里芋や、唐辛子の畑を見て、また、西さんが、このたびの水害で大きな被害を受けたところを、ご自宅含めて案内してくださいました。
西さん、ありがとうございました❗️
そして、今回の支援活動に、お客さま方から、お水や、支援金など多くの善意を頂戴しております‼️
ほんとうに、ご理解ご協力いただきましてありがとうございます‼️
心より、心より御礼申し上げます。🙇‍♀️
これからも、できるだけ被災された皆さまのために、私たちの何か出来ることで貢献させていただけたらと思っております。
引き続き、どうぞよろしくお願い申し上げます。
かねくら(株)ピュアリィ
自然栽培全国普及会九州ブロック事務局
代表 反後人美

《 あさぎり町 産地訪問 豊永佐代子さん、紀広さん 》

美しい!
あさぎり町の、眺望は、言葉では、いい表せないほどの素晴らしさ!
そして畑は、その風土と、農家さんのお人柄を象徴するかのよう。
豊永さんご家族の温かさ、お人柄は、田畑の美しさや、
今いただいている「オクラの凛とした姿」に映し出されています。
「ここにずっといたい!」と思う、その空気を、ぜひ多くの方と共有したいなと思いました。

《 1ヶ月は、あっという間。サイレンが鳴って初めて、あ、今日で1ヶ月なんだと気づくくらいだった 》

昨日は、人吉支援活動& あさぎり町 豊永佐代子さん、紀広さんの産地訪問、及びセミナーでした。6:00出発 7:30人吉市着。
スタッフの宗像、娘のかりんと3人でしたが、宗像一人で運転してくれて、片付けも、除草作業も2人とも率先して動いてくれました。
自然栽培農家の西さんは、自宅敷地内の片付けにメドがつき始めて、田畑の復元に意識はシフトされていました。
ご両親も初めて、長い時間お話しできましたが、片付けの苦労話も「笑い話」に変えて伝えてくださいます。パワフルなご両親です!娘が一緒だったので、お父さんが長く関わっていらっしゃった「藤崎宮秋の例大祭」の話で盛り上がりました。(娘は大の祭り好きですから)
西さん宅に流れ込んできた金物の災害ゴミを軽トラに積込み、田んぼに移動。
1ヶ月近く水にあたらない分、タニシもいなくなり、雑草にまみれる
「1本植え」ですがしっかり分けつした稲を、ぜひ救って、
「タネだけでも残したい!」と除草作業のお手伝いです。
西さんの田んぼ近くの被災者のみなさんとも、交流できました。
西さん同様に大変な被害を受けていらっしゃいますが、
この方々も「笑顔」で、私たちに話すことで、また気持ちに整理をつけられて、前向きに進んでいらっしゃる「生きる力」「たくましさ」を感じてきました!
みなさん「1ヶ月は、あっという間。サイレンが鳴って初めて、あ、今日で1ヶ月なんだと気づくくらいだった。」とおっしゃっています。
私は、熊本地震の時の自分のことと重なり、とにかく、毎日「決めて動く」の連続で、やることだらけでゆとりはなかったけれど、あのときを乗り越えられたから今があるのだと、再認識しました。
支援の形はいろいろですが、やはり、
「人は会うことで、体温を感じて、元気になる」ことを、みなさんとも共有してきました。
「会いたいな!」「困っている人がいるなら助けてあげたい」そう思うとき、素直に行動できる。それが一番だと思います。これからもこの姿勢を大切にしていきます!
そのために、仕事も、時間も共有、調整して、動ける柔軟性のある生き方をする人たちの弊社「かねくら株式会社」です。自然栽培全国普及会九州ブロックとしてのお役目も、ありがたく継続していきたいと思います。
笑顔😊あふれた、いい人生を歩んでいきましょう!
もうすぐお盆です。御霊(魂)が家族のもとに帰っていらっっしゃるのがお盆です。
私たちは、みんな間違いなく父がいて、母がいて、この世に誕生してきました。
そのまた先代の父、母、すべてがいらっしゃったおかげです。
感謝の手を合わせ、1年1度の大切な時間を過ごしたいと思います。

『リアルタイム産地』九州豪雨 人吉災害支援 ー自然栽培農家たちの決意と未来のためにー ①

712日 自然栽培農家たちの決意と未来のために

文 反後 人美

「反後さん、人吉は全滅です。申し訳ないけど、今日の自然栽培研修会は欠席します。」自然栽培農家 西 弘敬さんから、電話をもらったのは7月4日朝8:00過ぎだった。

まさか、その電話を、西さんが命の危機にさらされながらかけてきていたとは、そのときの私には想像すらできなかった。「もちろん!わかってるよ。とにかく安全第一気を付けてね」

その日、6年ぶりとなる自然栽培九州ブロック研修会に、西さんは、仲間の植田和久さんと一緒に参加する予定で前日までとても楽しみにしていた。その西さんが、私に電話をかけてきたときは、まさに、迫りくる球磨川の濁流にのみ込まれる寸前。逃げ遅れている独居老人の方々の救助をしながらのことだった。

たったその10日前に、西さん、植田さんと人吉の田畑で会ったばかり。

「高齢化で、もう、自分たちしかこの辺りの農地を守れる人材はいなくなっているんですよ。だから、やるんです!そしてやるなら『自然栽培』と決めている。」

その姿勢は、この7年間全くブレてこなかった!人吉市長の松岡隼人さんも市議時代から彼らと一緒に「人吉のまちづくりの柱を自然栽培にする」そう位置づけ共に勉強した仲間。

笑顔がとても綺麗な彼らを心から応援してきた。

「これからだね!」そうあの笑顔で次を約束した、その矢先のことだった。

市長自身の自宅も2階まで浸水。西さんの自宅も1階の天井まで浸水、田畑も車もすべて流され土砂に埋め尽くされた。

電話がつながらない。私は6年ぶりの研修会を進行する最中、私の夫はすでに「熊本地震の経験から」大量の水をタンクに詰め人吉へ支援に向かい、高速道路の開通を待って、「泥だらけになって」深夜帰宅した。人吉の変貌ぶりは「言葉にならなかった」

それから数日、彼らのお米の師匠、八代の稲本薫さんと連絡を取り合いながら、「生き地獄と化した」目の前の現実に、死も覚悟するほどの苦しみにあえぐ西さんを、とにかく支援に行く日までSNSメッセージや電話で励まし続けた。

「着替えのパンツもない」「お金もおろそうにも、印鑑も通帳もぜーんぶ流されて何もない」

苦しいやり取りが続いた。そんななか、発災から4日目

「ちなみに、里芋。あの冠水の中生きてますよ!見習わないと!」そんな絵文字も使った明るい一行が送られてきた!

「よかったー!!」奇しくも、彼に生きる希望を与えたのは、14日前、一緒に畑でその葉っぱの勢いを喜んだ、5年種採りを続けてきたあの里芋だった!!

よかったね。よかった。よかった。「生き残ったすべての命に感謝」あるのみだった。

その翌日、夫は西さんに、ともかく生きるために支援物資と「トラック」を届けた。その2日後も人吉に向かった。そして12日、ようやく私は、夫、スタッフとその家族6名で人吉に行くことができた。発災から1週間後のことだった。

有形の文化財の宝庫、生物多様性の豊かな自然、温泉郷「人吉」。

しかし・・・「見るも無残」とはこのことか。

一夜にして変わり果てた「人吉の街並み」に驚くと同時に、西さん宅の「下薩摩瀬」に近づくほどに、またも信じられない光景が、現実のものとして、目に飛び込んでくる。

そして、まだ多くの方々が「現実を受け止めるのも難しい」そんな環境の中、多くの土砂と共に「思い出がたくさん詰まった」自宅や店舗の片付けに追われていた。

2週間前通ったばかりの道路をまっすぐに進むと、その行き止まりが、なんと西さん宅になっていた。その先はコンクリートの電柱が真っ二つに折れ道路をふさいでいた。

「西さん!」「反後さん!ありがとうございます」西さんは、いつものようにあの笑顔で私たちを出迎えてくれた。「よかった!生きてたね」「何でもするけんね。何でも言ってね。」私たちは、その日集まっていたボランティアの方々と一緒に、男女20名ほどで、家屋も小屋も車も機械もすべてが埋もれたままの目の前の土砂に向かって、ただただ、シャベルで無心に掻き出した。たとえ一人のひと掻きは微力でも、「何とかしたい」という一人一人の思いが全員を一体にして大きな力を生みだした。

「反後さん、嬉しか!今日、ようやく片付いてきた実感がした。なんか空気が変わった!」西さんの瞳に、ようやく明るい希望が映っていた。

そして、一緒にあの里芋を見に行きましょう!西さんの呼びかけで、自宅近くの畑に入らせてもらった。まるで津波の跡のような大きな石や土砂が入り込むなか、あの里芋は、久しぶりに晴れた空に向かって、あの葉っぱを広げていた。涙が出た。そして、わずか1週間。すでに虫や小さな生き物たちは、この環境に順応して動き回っていた。これが自然か!

自然の驚異は、私たち人間には計り知れないことを、私たちは「地震に続き」教えられている。自然は怖い、されど自然は尊い。そして、生きるのは壮絶であり、しかし生きるとは真の喜びであることをかみしめて、私たちは、これからも手を携えて生きていくことを誓って畑に立っていた。

 

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